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貧乏徳利展
平成28年9月9日〜12月4日(金・土・日開館展示)

「貧乏徳利」なぜこう呼ばれるのか

0 貧乏徳利は酒を量り売りする容器ですがなぜこう呼ばれるのでしょう。展示を見ながら考えてみましょう。

 貧乏人に小口で売ったから、また、形が貧相だからなどさまざまな説がありますが定説はないようです。

 江戸時代の百科事典『守貞漫稿』喜田川守貞著には「江戸五合或は一升に樽と此陶と並び用ふ大小あり號て貧乏徳利と云其謂を知らず」と記載されています。

貧乏徳利

 江戸時代から昭和初期ころまで利用された「貧乏徳利」は、「通い徳利」「貸し徳利」「源蔵徳利」などとも呼ばれていますが、一般的には「とっくり」「さかびん」などと称していました。

 貧乏徳利は酒の醸造元や小売り酒屋が客に貸し出したり販売した容器で、ガラス瓶が普及するまで使われました。

 大きな特徴は胴の部分に宣伝を兼ねた酒名、酒屋名のほか、地名、通し番号や電話番号などが鉄釉やマンガン釉で記されています。文字は発注した蔵元や酒店などが窯元まで出向いて文字を書きました。

 徳利はくり返し利用でき、返却や回収も出来る優れもので、環境に優しい製品として誇れる容器で、現代にも活用できるものです。容器を持参して、必要な量だけ買い求めることができる仕組み。一升徳利をぶら下げて酒屋にいき、酒屋で「おやじ三合くれ……」と必要な分量や、手持ちの現金が少なくても堂々と購入することができました。近年は量り売りに力を入れている蔵元もあるようです。

荒木集成館の概要 〜地元の歴史・文化がわかるコレクション館〜

荒木集成館

 荒木集成館は、集成館という名があらわすように、考古を中心としたあらゆる収集品(コレクション)を展示・紹介する博物館です。

 1952(昭和27年)、中学教師だった荒木実は、生徒の拾った一片の土器をきっかけに考古学の研究をはじめました。そして多くの遺跡の発掘調査に参加し研究を続け、1970(昭和45)年10月31日、名古屋市千種区に自らの力でミニ博物館「荒木集成館」を設立しました。

 その後、1978(昭和53)年12月14日、天白区に財団法人荒木集成館として移転。そして平成25年12月3日付けで荒木集成館は「財団法人」から「公益財団法人」になりました。

 二階の常設展示室では、土器や石器などの考古資料を時代ごとに展示しています。特に荒木自身が発掘・調査研究を行ってきた「東山古窯址群」と呼ばれている昭和区・千種区・天白区の遺跡からの出土品が、展示の中核となっています。

 一階の展示室では、化石・陶磁器などジャンルを問わず、さまざまな展示会が行われています。ここは、一般の収集家や研究者の方々の長年の成果を発表する場となっています。当館が収蔵する江戸時代から昭和にかけて数多く焼かれていた名古屋のやきもの展示も定期的に行っています。